20歳で白血病に…人気番組のディレクターが伝えたいこと

[20歳で白血病に…病気になったからこそ出合った仕事 
                人気番組のディレクターが伝えたいこと]

(西日本新聞  2018年4月15日)


「アサデス。」は18年続くKBC九州朝日放送の人気情報番組だ。
そのディレクターとして、蒔田真弓さん(27)=福岡市博多区=は日夜、
飛び回る。
コーナーの企画を立て、ロケ地を探し、取材を段取る。
昨年7月の九州豪雨では現地に泊まり込んで中継した。


こんな充実した日々をかつては想像できなかった。
病院の無菌室で吐き気と高熱、死の恐怖に苦しんでいた20歳のころには-。

九州大2年だった2010年夏、自転車で転び、血が止まらなくなった。
診断は急性骨髄性白血病。
正常に造血できない「血液のがん」だった。
水泳で鍛えた体は痩せ、血小板不足による内出血であざだらけになった。
成人式に向けて伸ばしていた髪は抜け落ちた。



<闘病体験を自ら封印>
「意識を失うほどの過酷な治療でした」

危機を救ったのは「自家移植」だった。
あらかじめ自分の造血幹細胞を保存しておき、抗がん剤でがん細胞を減少
させた体に注入する。
入院から1年後、血中にがん細胞が確認できない「寛解状態」にまで回復
した。

ただ、将来はまだ見えなかった。
1年遅れた就職活動で苦戦した。
「採用に響く」と周囲から忠告され、面接では病気を明かさなかった。
「価値観が変わるほどだった」という闘病体験を自ら封印してしまい、本当の
自分で勝負できなかった。
10社を受けて全て不採用となり、何も決まらないまま卒業式を迎えた。

心配した教授が地元の番組制作会社を紹介してくれた。
白血病と知った上で採用を検討するという。
「私なんかを雇うくらい人手不足なのかな」
とはいえ、急に訪れたチャンス。
考える間もなく飛び込んだ。



<恋愛にも臆病に>
入社の翌日に派遣されたのが地元民放の看板番組だった。

当初は月に1回、がん細胞の再増殖がないか確認する血液検査で通院
しなければならなかった。
仕事への影響を考え、KBCのプロデューサーには事前に説明した。
「遠慮せずに休んでいいよ」と言ってくれた。

40人ほどいる番組のスタッフには明かさなかった。
「新人なのに変に気を使われたくなくて」

それに医療界では「働き方とがんの再発リスクに因果関係はない」との定説が
ある。
その通り、不規則が当たり前の仕事を一人前にこなした。

それでも時々、不安が頭をもたげた。
風邪気味かなと思えば、すぐ医者にかかった。

抗がん剤の後遺症で不妊になる可能性もあり、恋愛にも臆病になった。
学生時代の友人から結婚や出産の知らせが届くと「このままでいいのかな」と
思う。



<がんと共に新たな一歩>
そんな自分だからこそ、仕事に生かせる視点があると気付いた。
がん患者のウイッグを作るために髪を寄付するヘアドネーションを取材した。

貧血を取り上げた番組には、白血病を共に闘った同い年の友人に登場して
もらった。

今、最も伝えたいのは、人工呼吸器を装着して医療的ケアが必要な子ども
たちの物語だ。


寛解になって6年、定期通院は半年に1回に減り、ディレクターとしての
自信は膨らんだ。
「がんにならなかったら就かなかった仕事。私だから伝えられること、
伝えなければならないことがある」


昨年11月に独立し、番組とフリー契約を結んだ。
がんと共に新たな一歩を踏み出した。


    ◇   ◇


日本人の2人に1人がかかるがん。
年間100万人が発症し、働く世代が3割を占める。
医学の進歩で生存率が向上する一方、仕事を辞める人、両立に悩む人は後を
絶たない。
がんと働く人たちの今を見つめる。



<患者 3分の1は就労世代>
高齢化とともに1981年から日本人の死因1位となっている「がん」。
診断や治療技術の進歩を背景に「不治の病」ではなくなってきた。
診断時を起点とする5年生存率は10年余りで約10ポイント向上し、
62.1%に。
患者のおよそ3人に1人は20~64歳の就労世代で、働きながら治療を続ける
人もいる。

3大療法は手術、抗がん剤、放射線。
さらに近年、一部のがんで免疫療法も公的医療保険の対象になった。
体への負担が小さく入院期間が短い内視鏡手術も、胃や大腸のがんで普及して
いる。

日本対がん協会福岡支部長の瓦林達比古さん(69)は「抗がん剤治療や放射線
治療は通院で受けられるようになり、仕事もできる」と強調する。



<診断後に離職した人は3人に1人の調査結果も>
ただ、診断後に離職した人は3人に1人に上るとの調査結果もある。
100%の能力を発揮することが求められる日本的な企業風土の下、「同僚に
迷惑が掛かる」と自ら退職したり、非正規で雇い止めされたりする人は少なく
ない。

瓦林さんも福岡大産婦人科教授だった13年前、肺がんを発症した。
当時は「医者ががんなんて」と批判されかねない時代。退職すべきか迷った
末、在職のまま入院した。治療後は福大病院長に就任し、通院治療態勢を充実
させてきた。

「がんとの共生が求められる時代へとシフトしている。患者や経験者が孤立
したり、必要以上に特別視されたりしない社会を目指したい」


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180415-00010000-nishinpc-soci


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