岩本勉のイップス

[岩本勉]

(Wikipedia)


1989年のドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。


1992年、イップスを発症して投球が出来なくなった。
二軍でのバントフォーメーション練習時、ある内野手の度重なる舌打ちが
原因で投手陣全体に制球難が蔓延した。
岩本が特に重症であったという。

1993年(4年目)は1年間室内練習場の片隅で1日1000球のネット
スローや、後輩の内野手荒井昭吾に投球を打ってもらうなど、投げる感覚を
取り戻すことに専念、シーズン終盤のイースタンリーグ戦で実戦復帰を
果たす。
整理選手候補にも挙がったが、大沢啓二監督の要望で戦力外を免れる。

秋季キャンプで、岩本が守備練習の送球は普通に投げられることに気付いた
高橋一三コーチのアドバイスにより、サイドスローに転向。

1994年には、シーズンを通じてサイドスローを貫き、イースタンリーグで
月間MVP獲得、3年ぶりに一軍登板を果たす。

1995年はこの年から一軍投手コーチに就任した大石清のアドバイスを
きっかけにスリークォーターにフォームが変わる。
7月14日の対西武ライオンズ戦で待望のプロ初勝利を挙げる。
この年中盤戦までロングリリーフとして結果を残し、それ以降は先発
ローテーションに定着。
5勝7敗の成績ではあったが、防御率3.07と安定感があり、初めて規定
投球回に到達した。




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