病魔と闘い、昭和の終わりとともに去った美空ひばり

[プレイバック芸能スキャンダル史
          病魔と闘い、昭和の終わりとともに去った美空ひばり]

(ゲンダイ  2013年10月1日 掲載)


<1989年6月>
戦後の歌謡界を代表する歌手といえば美空ひばり。
1949年に11歳で本格デビューして以来、500曲を超えるオリジナル曲を
レコーディングした不世出の歌姫だ。

しかし、弟2人を相次いで亡くしてからは酒量が増えていき、体調不良も
続き、1985年ごろからは腰痛を訴えるようにもなった。

そして体が悲鳴を上げたのが1987年4月。
全国ツアーの公演先の福岡市で緊急入院する。
医師団からは「左右大腿骨骨頭壊死・慢性肝臓病・脾臓肥大」と発表され、
そのまま3カ月あまりの入院。
明治座などで予定されていた公演は中止。
50歳の誕生日を病院のベッドで迎えた。

一時はカムバックも危ぶまれる状況。
だが、年末には京都のイベントでステージ復帰し、翌1988年4月、完成
直後の東京ドームで復活公演を成功させて注目を集めた。

だが、同1988年11月ごろから「胸が苦しい」と訴えるようになる。

元号が平成に変わった1989年2月6日、福岡を皮切りに全国28カ所での
ツアーをスタートさせたが、翌日の小倉公演は主治医が付き添い、ステージ上
では大半を椅子に座って歌う異例の事態となった。

8日に緊急入院。
病院側は検査入院を強調したが、東京に戻って3月15日には再び検査入院。
マスコミの間で重病説が囁かれるようになる。
退院して21日に自宅からラジオ出演したが、直後に体調を崩して再び入院。

4月17日には横浜アリーナ公演が予定されていた。
同公演は弱冠17歳の養子、和也さんをプロデューサーとして起用、舞台構成
から装置、演出まで任せた。
長男を「男にするため」に「這ってでも舞台に出たい」と言っていたが、
この公演を含めスケジュールはすべてキャンセル。
年内の活動休止が決まった。

入院後、病院側のガードは異常なほどに堅かった。
マスコミはおろか関係者の面会も大幅に制限されて、病状も公表されず。
周囲には緊張感が漂い始めた。
「髪の毛が抜けている」「げっそりやつれている」などの情報も乱れ飛んだ。

相次ぐ重体報道に、レコード会社側が会見を開き、病床の写真と自筆
メッセージ、録音テープを公開。
一時は体調も持ち直し、病院の屋上を散歩し、パターの練習をする姿も
キャッチされた。

ところが、6月に入って体調は急速に悪化。
病名は噂されたがんではなく、間質性肺炎と肝硬変だったが、6月13日からは
心臓機能も低下し始める。
人工呼吸を行う強化治療に入るため、意識を抑制することを聞いた美空は
「頑張ります」と答えたが、その後、意識が戻ることはなかった。

歌手の命であるのどを切開するなど必死の治療もむなしく、6月24日午前0時
28分、52歳で帰らぬ人となった。

26日に密葬。
ひばり邸の前は1万2000人の熱烈なファンで埋め尽くされた。

7月6日には女性初となる国民栄誉賞をスピード受賞。

22日に青山葬儀所で行われた本葬はTBSによって独占中継された。




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