秀吉の兵糧攻め

[こんなにも面白い医学の世界 第6回 秀吉の兵糧攻め] (レジデントノート  2015年3月号掲載) 織田信長の家臣であった羽柴秀吉は、播磨三木城や鳥取城を、兵糧攻めにより 落城させたと伝えられています。 ご存知のとおり、兵糧攻めとは、城を包囲し城内へ食料を持ち込ませない ことで、城内にいる兵士や馬などを飢えさせる戦法で、直接武器を使うわけ ではないけれど、残酷な方法です。 歴史の詳細は専門家にゆずるとして、城内では植物はすべて食べつくされ、 肉食ではないこの時代の人々が、牛や馬、さらには人肉までを食べたと 伝えられています。 秀吉はその惨状をみかねて、城主の自決を条件に降伏を許可し、開城後に 飢餓でふらふらになって出てきた兵士たちに大釜でお粥を振舞ったそうです。 ところが、兵糧攻めで生き延びたものたちも、このお粥を食べてほとんどが 死んでしまった、とされています。 どうすれば、生き残ったものたちは、死なずにすんだのでしょうか? これは、飢餓状態のあとに急に食べ過ぎたことによるリフィーディング 症候群が起きたと考えられます。 リフィーディング症侯群とは、広義の飢餓状態にある低栄養患者が、栄養を 急に摂取することで水、電解質分布の異常を引き起こす病態の総称であり、 心停止を含む重篤な致命的合併症を起こすことがあり細心の注意が必要な 病態です。 発症機序は、急速なグルコース投与に伴う急激なインスリンの分泌による、 グルコースとリン、カリウム、マグネシウム、水分などの細胞内への移動に よる電解質異常であり、もともと飢餓のため必要な電解質が不足している ことが追い討ちをかけます。 最も危険なのは、リンの低下で、クエン酸(TCA)回路が機能しなくなる ことで、呼吸筋麻痺や急性心不全を引き起こします。 また、それ以外にも低カリウム血症、低マグネシウム血症、ビタミンB1 欠乏症などの結果、不整脈・振戦・感染症・Wernicke脳症などの多様な 臨床症状を呈します。 栄養不良のハイリスク患者では、5〜10kcal/kg/24時間の栄養投与から開始 することが推奨されており、兵士たちは、煮干のようなリンが多い食品を 十分に摂りながら、お茶碗に1〜2杯のお粥を1日かけてゆっくり食べて いれば助かった可能性があります。 実際に、兵糧攻めで生き残ったものは、白米を食べていた上級武将ではなく、 ビタミンB1を多く含む玄米を食べていた下級武士であったともいわれて いますし、カリウムが豊富な牛や馬の血を飲んでいたものは生き残った、 という言い伝えもあるのです。 先生方も、これからの診療で、神経性食思不振症のような飢餓状態の患者 さんに輸液や経管栄養を開始するときには、兵糧攻めを思い出し、細心の 注意をしなければいけません。 (岡山大学医学部 救急医学  中尾篤典先生) https://www.yodosha.co.jp/rnote/trivia/trivia_9784758115476.html  
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