バッハとヘンデル、晩年同じ眼科医の手術を受けてともに失明

[富の象徴・肥満がヘンデルにもたらした厄災] (朝日新聞  2011年8月10日) (ヘンデル  1685〜1759年) <流行作曲家> ヘンデルの「メサイア」はベートーベンの「交響曲第9番」と並んで、暮れに なるとよく耳にする曲である。 救世主イエス・キリストの生涯を題材にしたオラトリオ(聖譚曲)で、特に 年末年始に関係はないが、キリストの生誕を描いていることや、後半山場の 有名な「ハレルヤコーラス」が、聞き手に祝祭的な高揚感を与えるから だろうか。 バロック音楽の最大の巨匠と言えばバッハだが、そのライバルとも言うべき ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルは、バッハと同年の1685年2月23日、 バッハの故郷アイゼナハ(独)から100kmも離れていないハレに生まれた。 父親はハレ公爵の侍医で、息子が弁護士か官吏になることを期待していたが、 20歳のヘンデルは単身イタリアに音楽の武者修行に出かける。 逗留先のローマでは、オットボーニ枢機卿の宮廷楽長コレッリの ヴァイオリンをひったくって妙技を披露するなど、大胆で積極的な行動が 伝えられている。 若い頃の肖像は目鼻立ちのはっきりした美青年だが、30歳頃から肥満体型に なり前頭部が薄くなってくる(中年以降の肖像画は鬘のため不明)。 オペラがロンドンの劇場で大喝采を受けるや、ハノーバー選帝侯の宮廷楽長に 任じられていたが、劇場の多い大都会ロンドンに出張し続け、のちイギリスに 帰化する。 ロンドンでは流行作曲家として大人気を博すが、次第にオペラの人気は低迷、 多額の借金、劇場の破産、個人的な投資の失敗と続き、52歳で脳卒中に倒れ 半身不随に。 しかしオペラから転じたオラトリオの成功をきっかけに復活を果たす。 <医療ミス> 彼の性格は積極的で行動的、あえて戦を辞さぬいわゆるM.フリードマン、 R.ローゼンマンのA型行動パターンが見受けられるが、双極性障害もあった ようで、大作の多作が目立つ躁期と、小品の寡作にとどまる鬱期との差が 歴然としている。 実際「合奏協奏曲」や「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」などの祝祭音楽は もとより、「メサイア」などの宗教曲も、ヘンデル自身が聴衆や演奏者と ともに精神の高揚を楽しむかのような華やかさがあり、バッハに見られる “神への畏敬”に対し、朗々と鳴り響く屈託のないヘンデル特有の世界が 広がる。 多くの子どもを抱え地方教会のカントル(音楽監督)として質素に作曲を 続けたバッハと、欧州最大の都市でオペラやオラトリオのヒットを狙い、 浪費好きで喧嘩っ早く、生涯独身で晩年まで女優や歌手と浮名を流した ヘンデルとは対照的な人生だ。 しかし、くしくも晩年同じ眼科医の手術を受けてともに失明するという悲運に遭っている。 当時、ジョン・テイラーという眼科医(偽医者だったらしい)がロンドンで 盛業中だった。 バッハは恐らく糖尿病からの白内障により視力障害を来し、その手術(水晶体 除去術)を受けた。 ヘンデルは 初老期よりしばしば狭心症や脳血管障害に悩まされ、74歳での 死は心筋梗塞あるいは脳卒中によるものだったようだ。 従って彼の視力障害は突発性かつ片側性であり、視覚神経や網膜動脈の 血栓症が疑われる。 これにテイラーは水晶体圧下手術を行い完全に失明させてしまったのだ。 血管性の視力障害であれば水晶体圧下手術は意味がない。 これは手術の失敗というより手術適応自体の誤りだろう。 <メタボの抵抗力> ヘンデル、バッハともに中年以降の肖像画は肥満体である。 20世紀前半まで肥満は富と地位の象徴だった。 また彼らが生きた17〜18世紀欧州ではまだ、結核やペスト、チフスなど 感染症が猛威を振るっていたため、メタボリック症候群が動脈硬化をもたらす ような年齢に達する前に死亡する可能性が高かった。 当時は肥満が消耗性疾患に対する抵抗性となっていたために、富の象徴と 考えられていた可能性も否定できない。 (早川智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授) (メディカル朝日2009年12月号掲載) http://www.asahi.com/health/rekishi/TKY201108090220.html
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