[尾高朝雄]
(中外製薬:くすりのはなし)
ペニシリンは感染症に対する効果が高く、魔法の薬といわれていましたが、
そのペニシリンも過信してはいけないことを学んだのが「ペニシリン・
ショック」事件です。
1956年、東京大学法学部・尾高朝雄教授が、自宅近くの歯科医院で歯の
治療中に、ペニシリン注射によるアナフィラキシー・ショックを起こし
搬送先の病院で亡くなりました。
重篤なショックを伴うアレルギー反応が原因です。
当時の法曹界の重鎮が想像もしなかった原因で亡くなったことで、社会問題に
発展しました。
尾高教授の死亡事件が発生した頃のペニシリン製剤は、純度の最も高いもの
でも75%程度で、多くの不純物が含まれていたと考えられ、尾高教授の
アナフィラキシー・ショックも、ペニシリン以外の物質が原因であったのかも
しれません。
現在製造されているペニシリン製剤の純度は99%以上になっており、
ショックの発生頻度は低いものになっています。
しかし、アレルギー反応は個人の体質によって異なるので、過去の薬に対する
特別な反応は、自分で書き残しておくことが大切です。
参考:日本製薬工業協会『くすりの情報Q&A55』
http://chugai-pharm.info/hc/ss/medicine/body/body005.html
————————————————–
[尾高朝雄]
(Wikipedia)
1956年(昭和31年)に、歯の治療中にペニシリン注射のショックで都立駒込
病院に入院後に死亡した。
尾高の死がきっかけとなり、ペニシリンによる薬害はペニシリンショックと
して社会問題化し、薬のショック死が認識されることになる。
日本の薬害問題の最初期のものとしても有名である。
————————————————–