武田信玄も徳川家康も胃癌だった?

[Dr.中川のがんから死生をみつめる:/94 もし進行が遅ければ・・・]

(毎日新聞  2011年2月13日)


1895年にエックス線が発見され、身体の内部を見ることができるようになる
までは、がんと言えば、「乳がん」を指していました。

江戸時代には、「肺がん」や「胃がん」といった病名は存在しませんでした。

また、がんは一種の老化症状ですから、「人間50年」の昔は、がんで亡くなる
人は、今と比べて珍しかったことでしょう。


それでも、がんで亡くなったと思われる歴史上の人物は少なくありません。

たとえば、武田信玄は三方ケ原の戦いで、徳川家康を圧倒し、天下は目の前に
ありました。
しかし、一説には、このときすでに末期の胃がんに侵されていたと言われ、
この戦いの翌年、世を去っています。


一方の徳川家康は、大坂夏の陣で豊臣家を滅亡させ、天下統一を成し遂げた
翌年、亡くなりました。
死因は、信玄と同じ胃がんだったと思われます。

家康は、元祖「健康オタク」として知られます。
外国から伝来したばかりの「たばこ」を吸おうとしなかったばかりか、喫煙
禁止令まで出したほどです。
また、肥満体だった今川義元を反面教師として、粗食とタカ狩りなどの運動を
心がけたと言われます。

しかし、1616年1月21日、タカ狩りの後、「タイの天ぷら」を食べた
家康は、激しい腹痛と嘔吐に襲われました。
おそらく、胃がんが大きくなって、天ぷらが詰まってしまったのでしょう。
「天ぷらの食あたりが家康の死因」と言われることもありますが、おそらく
誤解です。
家康が死亡したのは、4月17日。
天ぷらを食べてから3カ月近くたってからです。

その前から徐々にやせてきていたこと、侍医の触診で腹部に「しこり」を
認められていたことなどから、胃がんの可能性が高いといえます。


家康のがんは、1600年の関ケ原の戦いのころには、胃の粘膜を侵し始めて
いたのだと思います。
しかし、家康の胃がんは、天下統一までの時間を与えました。

逆に、信玄の胃がんの進行がもう少し遅ければ、歴史は大きく変わっていた
かもしれません。
歴史に「もし」はありませんが。



(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)




http://mainichi.jp/select/science/news/20110213ddm013070036000c.html





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