松木村

[松木村]

(Wikipedia)


松木村(まつぎむら)は、栃木県上都賀郡にあった村。
足尾鉱毒事件によって1902年廃村。
正式には1889年の町村合併によって既に自治体としては消滅し「足尾町
字松木」であったが、一般的にはほぼ無人化した1902年に廃村とされて
いる。
現在は「日光市松木渓谷」。
アクセスは徒歩のみ。



<歴史>
1853年の調査によれば、37戸178人が住んでいた。
主な産業は農業で、養蚕のほか、大豆や野菜がつくられていたが、水田は
なく、稲作は行われていなかった。

明治に入り、足尾銅山で銅が増産されるようになると、精錬に必要な木材が
大量に伐採された。
1884年以降、さらに、精錬所から出る鉱毒ガスおよび酸性雨により、山の
木が枯れ始めた。

1887年4 月、村で毎年この日に行われていた畦焼きという畑の枯れ草を燃やす
作業を行っていたところ、この火が山林に燃え移り、下流の赤倉、間藤付近
までを焼く大規模な山林火災に至った。
この後、足尾の山はさらに荒廃が進んだ。
ただしこれは、鉱毒ガスにより立ち枯れていた木に火が移ったために大火事に
なったのであり、山がはげたのは足尾銅山が原因であるという主張もされて
いる。

火災ではげた山は、2005年現在もそのままである。
これに関しては、単なる山林火災で山が100年以上も再生しないとは考え
られず、足尾銅山の鉱毒ガスがはげ続けている主原因だという主張もかなり
なされている。

この大規模山林火災のあと、村では産業がたちゆかなくなり、多くの村民は
村を出た。


この時代、足尾銅山側は、精錬に使用する材木を伐採するために松木に林道を
つくることを計画。
予定地を購入しようとしたところ、残留村民らは全村譲渡でなければ応じない
と主張、裁判にもなった。
残留村民らは、田中正造が会長を務める足尾鉱毒被害救済会に救済を求めて、
田中正造本人も村民代表らと面会をした。
救済会の仲介もあり、1901年12月、足尾銅山側と交渉が行われ、残留村民
25名(24戸)全員が、全村を銅山側に4万円で売却し1年以内に移転する
ことで合意が成立した。
救済会が仲介を行ったのは、松木の荒廃が鉱毒被害であるというように
銅山側が事実上認めたためであるとされている。

松木の不動産の所有権移転登記が行われたが、村民の星野金治郎は別の用が
あり、当日、登記に参加できなかった。
これに対し、銅山側は登記日が同一ではないと困ると苦情を申し立てた。
これに対し星野は激怒。
移転登記は行わず、死ぬまで絶対に松木から出ないと宣言した。
星野とその息子の2名を除く残留村民23名は、足尾鉱毒被害救済会に感謝状を
贈り、村を出た。
なお、星野以外の不動産所有権移転登記は主に1901年12月27日に行われ、
1902年1月までに完了した。
星野は宣言どおり村に住み続け、立ち退こうとしなかった。
移転登記が行われなかったため、銅山側も合法的に星野を旧村外に移転させる
ことができなかった。

銅山側は、たまたま星野宅付近に銅山施設で使用する水の取水口があったこと
から、星野は取水口の水番として雇っているということにして、それ以上
星野に立ち退きを求めなかった。

銅山側は買収した松木の土地を堆積場とし、鉱石くずなどを次々に捨て
はじめた。
しかし、堆積場に行くためには、星野の土地を通らなければならなかった。
星野は銅山側が土地を通ることを認めなかったため、ここでも紛争がおきて
しまった。
この紛争は後に星野が移転するまで続いたという。

最終的に、旧松木村の下流部に足尾ダムができると、1951年ごろ(1949年説
あり)、星野親子は村を出て完全に無人化、約1,200年にも及ぶ歴史に
ひっそりと幕を下ろした。

松木村に隣接する久蔵村、仁田元村も、同様に煙害で廃村となったが、
いつごろだったのかは不明である。
恐らく、松木村とほぼ同時期だったと考えられる。
ただし、久蔵には日光中禅寺湖方面に抜ける道があったため、その後も完全
には無人にはならず、茶店などが残っていた。

また、廃村後の1922年までは銅山の社宅もあった。

茶店も社宅がなくなった頃に廃業し、この頃無人化したと考えられる。

現在は、残滓除去や森林緑地再生などの治山・治水活動が行われている。


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松木渓谷は、昔はしばしばキャンプが行われていたようです。
しかし、土砂の流出などで車でのアクセスが困難になってきているようです。
現在では一部のRV車でないとアクセスできないかもしれません。
シカやその他の野生動物に遭遇する確率はかなり高いですが、クマとの遭遇の
可能性もあるので要注意です。

シカを見るだけであれば西ノ湖周辺が最も確率が高いと思います。
日没前後が確率が高いと思います。
高山周辺もクマ出没注意なのでクマ対策は必要かも知れません。

霧降高原有料道路を夏場の20時〜21時頃に走れば4回に1回はシカに遭遇
します。
車内から見るので安全です。
日光のシカも増え過ぎて駆除されているので、年によって見られる確率は
違います。



(横山歯科医院2012・横山哲郎)


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