18歳娘を殺害された母親 服役囚の無罪を証明するため奔走(米)

[18歳娘を殺害された母親
      犯人とされ20年服役した男性の無罪を証明するため奔走(米)]

(TechinsightJapan  2019年8月3日)

23年前に起きた殺人事件で逮捕され20年間服役した男性に今年7月、無罪が
確定した。
男性の無実を証明するために奔走したのは、殺害された娘の母親だった。

『Inside Edition』『Idaho Statesman』などが伝えた。

1996年6月13日、米アイダホ州ボンネビル郡アイダホ・フォールズで、
当時18歳だったアンジー・ドッジさんが性的暴行を受け、何度も刺されたうえ
首を切られて死亡した。

事件から約6か月後、現場に残されていたDNAが一致しないにもかかわらず、
当時19歳だったクリストファー・タップさんが逮捕された。
クリストファーさんは事実無根だと主張したが、警察は3週間で30時間以上に
及ぶ取調べを行ったうえ、7回の嘘発見器(ポリグラフ)検査を実施。
クリストファーさんは「殺人幇助をした」と嘘の自白をするまでに
追い込まれた。

クリストファーさんは『Inside Edition』に「雪塊が斜面を転げ落ちて
くるかのような行き場のない怖さを感じ、脅され、強制され、結局自分は
その雪に潰されてしまったんだよ」と当時の精神状態を語っており、
その後の裁判で終身刑を言い渡されたものの、無罪を主張し続けた。

クリストファーさんと裁判所で初めて顔を合わせたアンジーさんの母キャロル
さんは、クリストファーさんを見るや否や「悪魔め!」と罵り、憎しみを
募らせた。

しかし警察の捜査には矛盾が多く、キャロルさんは心のどこかで「娘を
殺したのは他にいるのではないか?」という疑念を持っていた。

2004年、娘の死により神経衰弱に陥った夫のジャックさんを亡くした
キャロルさんは、今まで自分の心の声を無視してきたことを反省し
「真実を突き止めてみせる」と奮い立った。

キャロルさんはまず、クリストファーさんの件ですでに動き始めていた
冤罪証明を行う非営利活動機関「アイダホ・イノセンス・プロジェクト」に
連絡を取った。

こうしてDNAについてのリサーチを重ね、研究機関に足を運ぶうちに、
キャロルさんは「DNAが違うのに、クリストファーさんが犯人であるはずが
ない」と確信した。

またクリストファーさんの弁護士ジョン・トーマス氏を訪ね、当時の
取り調べや、嘘発見器検査の様子が収められた動画を見たことも
転機となった。
「吐き気がするほどの悪寒に襲われ、テレビを拳で殴りたくなりましたよ」と
当時を振り返るキャロルさんは、クリストファーさんの無実を証明すべく
行動を開始した。
事件から13年が過ぎていた。

一方、当局ら関連機関も手をこまねいていたわけではなかった。100以上の
DNAサンプルを採取し、ありとあらゆる方法で犯人を追ってきたが、DNAが
一致する人物は20年を経ても見つからなかった。

キャロルさんは“正義”を求めて警察にも立ち寄り、真犯人を早急に見つけ
だしてくれるよう懇願した。

そんな中、クリストファーさんに朗報が届いた。2017年3月22日、
クリストファーさんは「アイダホ・イノセンス・プロジェクト」のサポートを
受けて検察側と取引をしたことで、約20年の服役生活から解放されたのだ。

しかし、釈放され性的暴行罪の容疑は取り下げられたものの、“殺人者”と
しての汚名を返上することはできず、クリストファーさんの表情が晴れる
ことはなかった。
彼のそばには、涙ぐむ実の母ベラさんとキャロルさんの姿があった。

アンジーさん殺害から23年後の今年5月、事件は急展開を迎えた。
アイダホ・フォールズ警察が同州コードウェルに在住のブライアン・レイ・
ドリップス(53歳)をアンジーさんの殺害の罪で逮捕したのだ。

会見を開いた同警察署長のブライス・ジョンソン氏は、DNAが現場に残されて
いた型と一致したこと、ブライアンが性的暴行と殺人の容疑を認めたことを
明かした。

ブライアンは犯行当時、アンジーさんのアパートの斜め前に住んでおり、
2人は顔見知りで警察は事件の数日後にブライアンに聞き取り調査をして
いたが、犯人候補からは除外されていた。

容疑者特定の決め手になったのは「遺伝子系図」と呼ばれるDNA
プロフィールのデータベースで、警察はこれによりDNAが一致する
親族を探し出し、犯人を絞り込んだ。

ブライアンは裁判で無罪を主張したが、クリストファーさんは7月中旬に
全ての無罪が確定し、ベラさんとキャロルさんと抱き合った。

「息子ができましたよ」―そう語るキャロルさんを「私のチャンピオン」と
呼ぶクリストファーさんは最後に、このように語った。

「娘の死に疑問を持ち、正義を追いかけて私のために立ち上がり、決し
て諦めなかったキャロルさんには感謝しきれません。事件から10年以上の間、
キャロルさんは私に怒りと憎しみをぶつけてきました。でもその後、
彼女は私の一番の理解者となり支えてくれたのです。もしキャロルさんが
いなかったら、私は未だに刑務所の中にいたことでしょう。」

事件当時19歳だったクリストファーさんは今年、43歳になった。

(TechinsightJapan編集部 A.C.)

http://japan.techinsight.jp/2019/08/ac08021522.html

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