沖縄県におけるフィラリアの撲滅

[沖縄県におけるフィラリアの撲滅]

(Wikipedia)


沖縄地方がフィラリアの浸淫地であることは、1936年の沖縄県下一斉調査に
より、県民の3分の1が保虫者であることからわかっていた。

しかし、防圧の予算が確保できずそのままになっていた。

戦後初の調査は、1949年に沖縄県宜野座村でおこなわれ、このときの
保虫率は13%であった。


1964年に米国立法院でフィラリア防圧事業案が成立、宮古島より防圧事業が
始まった。
宮古島住民の99%が検査に応じたところ、結果は19%が陽性であり、特効薬
スパトニンの投与でミクロフィラリアは82%消滅した。
2回目は1966年に、3回目は1967年に実施された。


沖縄諸島の日本返還を挟んで、作戦開始から13年後の1978年には、沖縄県
全体で保虫率が0となった。

1988年11月、宮古保健所(現宮古福祉保健所)にフィラリア防圧記念碑が
建てられた。


スパトニンは、クエン酸ジエチルカルバマジン錠で商品名である。
回虫に有効なサントニンの名称の前にスーパーという名前をつけた商品名。




No tags for this post.
カテゴリー: か感染症(細菌・ウイルス・真菌・寄生虫), や薬剤・薬学 パーマリンク