故・西城秀樹さんの想い出と飯山満村

[故・西城秀樹さんの想い出と飯山満村]


母校の飯山満小学校の周辺の地名である「飯山満(はざま)」は難読地名
です。
船橋市以外の友人には「ハンザンマン スミダ」、韓国か中国の地名の
ようだと不思議がられました。

船橋市の解説によれば、
  ・米(飯)が山ほどできて満ちた土地だから説
  ・谷あいの場所=狭間(はざま)だから説
の2つがあるようですが、後者が有力とあります。

飯山満村も、その隣の滝台村も、極めて高低差が激しい地域です。
飯山満川や前原川(海老川水系)、その他の中小河川が台地を侵食して
高低差を生み出しています。

低地部分は全国的に谷津田と呼ばれます。

飯山満村や滝台村の低地部分では稲作が、台地部分では畑作が行われて
いました。

が、この周辺の低値部分は深田のため、子どもたちに「帽子が田んぼに
落ちても絶対に取りに入ってはならない」と言い伝えられていたそうです。

その低地部分を埋め立てして、ベッドタウンが造成されていきます。

私は、旧滝台村の台地と低値の間の斜面のベッドタウン住宅団地で育ち
ました。


旧滝台村を開墾したのが、旧飯山満村の豪農・林友右衛門です。

小学校の同級生の林さんは、おそらく林友右衛門の末裔で、飯山満小学校
周囲の大地主の娘でした。
どこからどこまでが自分の土地かわからないほど広いらしいと噂されて
いました。

その林さんとは6年生の時に席が隣同士になりました。
昭和の小学生ですから男女の仲は悪くて、私は1日5回はブスと言って
いました。
林さんからは3倍以上は言い返されていました。

その時に言われたのが「西城秀樹と比べれば顔が酷過ぎ」とか「西城秀樹と
比べれば脚が短過ぎ」等でした。
登校時から下校時までヒデキ、ヒデキ、ヒデキでした。
雑誌の切り抜きを見せられながら、西城秀樹さんの趣味や好きな食べ物まで
教え込まれました。

8時だョ!全員集合か紅白でしか歌手を見なかった時代に、初めて知った
芸能人が西城秀樹さんでした。


余談ですが、巨人や日本ハム、DeNAで活躍した林昌範投手の実家であり、
現在の勤務先の船橋中央自動車学校は、飯山満小学校から自転車で5分の所に
あります。
林昌範さんも林友右衛門一族の末裔だと思います。
自動車教習所は広い土地が必要ですから。


(横山歯科医院・横山哲郎)


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[位置関係]

飯山満小学校 

船橋中央自動車学校 

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