今日は何の日:故・萱野茂さん 満79歳没

[萱野茂]

(Wikipedia)


萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日〜2006年5月6日)は、日本の
アイヌ文化研究者(博士)であり、彼自身もアイヌ民族である。
アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。

二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を
務めた。

政治活動面ではアイヌ初の日本の国会議員(1994年〜1998年まで参議院
議員)。
在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」と
いう理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも
知られる。

アイヌ文化振興法を成立させ、国会議員としての目的を果たした萱野は
一期限りで引退。
その際「人(狩猟民族)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」 という
言葉を残している。


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[浦川治造]

(Wikipedia)

東京アイヌ協会名誉会長。
萱野茂の後援会長も務めた。

アイヌ古布絵作家の宇梶静江は実姉で、
俳優の宇梶剛士は甥に当たる。


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[宇梶静江]

(Wikipedia)

日本の詩人、古布絵作家、絵本作家。

アイヌの解放運動家であり、著名なアイヌ文化の継承者である。

長男は俳優の宇梶剛士。
実弟は浦川治造。


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[宇梶剛士]

(Wikipedia)

日本の俳優、タレントである。

1962年、東京都新宿区西大久保1丁目(現:歌舞伎町2丁目)の「東京都立
大久保病院」で生まれる。
出生時は体重が5,000gもあり、都の健康優良児の表彰を受けている。

母親の宇梶静江はアイヌの詩人・古布絵作家で、民族運動家でもある。
この事情から母は家庭不在のことが多く、青年期まで確執があったことや、
高校での部活や学校の実態に対する反発が不良になった原因であると著書や
メディアで自ら述べている。


<暴走族時代 – デビュー前>
高校時代に友人達と暴力事件を起こし逮捕され、少年鑑別所に入所。

出所後に高校を中退し、しばらく叔父のいる北海道浦河郡浦河町や二海郡
八雲町で労働機会を得るも更生できなかった。
東京家庭裁判所からの呼び出しを口実に帰京。

その後は暴走族に加わる。
当時日本最大組織とされたブラックエンペラーの三多摩地区のヘッドから
後に7代目名誉総長となる。

同じく元暴走族のヒロミも「僕らがガキだった頃、とんでもなく有名だった
人」とコメントしている。

暴走族同士の抗争で再び逮捕。
家庭裁判所へ送致され、少年院へ収容。

少年院での生活において改心。
この時に読んだチャップリンの伝記が俳優を志すきっかけとなる。
と同時に高校復学のための勉強に励み、その後、明治大学付属中野高等学校
定時制を卒業した。
同級生にはつちやかおり・パパイヤ鈴木・布川敏和 他多数のアイドル芸能人が
いた。


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