診断力が試される古い病気 梅毒

[コラム 診断力が試される古い病気 梅毒]

(読売新聞  2018年3月5日)(Dr.イワケンの「感染症のリアル」)


今回は猛威を振るっている梅毒の話をします。
梅毒は、2000年には759件しか報告されていませんでした。
しかし、だんだんと増え、2016年には4559件にまで上りました。
2017年も、5000件を突破したことが分かっており、うち約3割が東京から
報告されています。

梅毒はセックスで感染する性感染症です。
このため、生殖器の病気と思われがちですが、さにあらず。
ありとあらゆる体の部位に病気を起こします。

男性の場合、ペニスに皮膚が薄く削れる潰瘍が出れば、「性病だ」と思い
あたり、「性病科」で診断、治療してもらえるかもしれません。
しかし、梅毒の潰瘍は痛みがないのが特徴です。
だから、生殖器を自分で見ることが難しい女性だと、なかなか病気の存在に
気づけない。
さらに、こうした症状は数週間で消えてしまいます。

約3か月後に背中や腹などにバラの花が散ったような発疹や、皮膚が盛り
上がる発疹ができますが、これもやがて消えてしまいます。

しかし、菌は体内で増殖しており、妊娠中だと胎児に感染することもあり
ますし、感染から数年〜数十年後に、髄膜炎や目の異常、弁膜症などの心臓の
病気や、認知症のような脳の障害が出ることがあります。

生殖器ではない臓器に病気が出たときは、医師も、梅毒の知識がないと
なかなか診断できません。
臓器ごとに分類されてきた日本の医療では、そのような傾向がありました。

アメリカでは「梅毒を制するもの、内科を制する」(He who knows syphilis
knows medicine)と言います。
近年になってアメリカ流の医学が輸入され、また古典的な医局制度が崩壊して
いく過程で昔はかなり見逃されてきた梅毒が診断されやすくなった――。
ぼくは、そのように感じています。

<予防や治療の行政支援はない>
その一方で、義務はあっても報告を怠ってきた医師も少なからずいたことが、
数字に表れていたのではないかと思います。

梅毒は「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」
(いわゆる感染症法)の5類感染症に分類されており、医師には、診断7日
以内にこれを届け出る義務があります(全例報告)。

性感染症は公衆衛生的に対策を取るのが難しい。
日本でも梅毒の増加を観察はしていますが、個別の症例に行政的な介入や
対策があるわけではありません。

結核ですと、報告後に保健所からの連絡や事情聴取がありますが、梅毒患者
には性教育などの予防や治療の行政支援がないのです。

やっても意味がないと分かっている仕事を好きな人はいないでしょう。
届け出書類を出したところで、医師にも患者にもメリットがない。
そんな仕組みでは書類を提出するインセンティブは上がらないし、ついつい
忘れる医者も多いと思うのです。


たとえば、アニサキス症という感染症も届け出義務があるのですが、
2013年に届けられたアニサキス症はたったの89例、
しかし、診療報酬明細書(レセプト)でのデータでは、アニサキス症の診断は
7000件以上あったのです(!)。


とはいえ、我々の外来にも、どんどん新規の患者さんが紹介されてきます。
いろいろ述べてきた可能性を差し引いても、梅毒患者が増えているのは事実
だと思います。
ただ、なぜ、増えているのかは分かりません。

<古くからある病気なのに標準治療薬がない>
最近、東京の区議が、梅毒が増えたのは中国人が持ち込んだからだと、
根も葉もない主張をツイッターでしました。

実は、梅毒は昔から他国を中傷、貶(おとし)めるための道具として使われて
きました。

かつてドイツ人は梅毒を「フランス人の病気」と呼び、ロシア人は
「ポーランド人の病気」と呼び、ポーランド人は「ドイツ人の病気」と
呼んだのです。
他国人を無根拠に中傷する悪癖は、どの国の専売特許でもないようです。

ちなみに日本には15世紀に大航海時代の欧州から持ち込まれた可能性が高い
です(苅谷春郎「江戸の性病」三一書房)。


さて、梅毒の標準治療薬はベンザシン・ペニシリンと呼ばれる筋肉注射です。
しかし、日本では現在この標準治療薬がないため、アモキシシリンなど治療
効果がきちんと検証されていない、次善の治療薬で治療せざるを得ません。

何世紀以上も昔から存在し、現在猛威を振るっている感染症の標準治療薬が
ない――。
衝撃的な事実ですが、これが日本の現実です。


(岩田健太郎 感染症内科医)


https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20180305-OYTEW249661/?catname=column_iwaken



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