難聴乗り越え医師の道へ 長崎大医学部4年・目代さん

[「悩んだからこそ、支援したい」難聴乗り越え医師の道へ
                   長崎大医学部4年・目代さん]

(長崎新聞  2018年3月3日)

成長してから聴覚を失ってなお、医師を目指している男性がいる。
長崎大医学部4年生の目代佑太朗さん(31)は中途失聴者だ。
人工内耳の手術を受けて「人生が変わった」「難聴で悩んだからこそ同じ
ように障害のある人を医療でサポートしたい」と実習に励んでいる。

3日は「耳の日」。

目代さんはさいたま市生まれ。
健康に育ったが、高校2年のとき突然異変を感じた。
「あれ、鼻が詰まったかな」
風邪をこじらせたような感じで急に右耳が聞こえなくなった。
右側から話し掛けられても気付かない。
診断は突発性難聴だった。

右耳はほとんど聞こえなかったが、医療職に就きたいと勉学に集中。
2006年、長崎大歯学部に入学した。

ところが5年生になった2010年春ごろから、左耳も徐々に聞こえづらく
なった。
意を決して両耳に補聴器を着けたが「キーン」と耳鳴りがして会話が困難に。

2011年冬、左耳の蝸牛に電極を接触させて聴覚を補助する「人工内耳」の
埋め込み手術を決断した。

今後のことを考えると強い不安はあった。
しかし人工内耳の聞こえ方に慣れると友人の声がスムーズに耳に届く。
「これも医療のおかげ」
元の通りではないが心が喜びに震えた。
そして「やっぱり医師になりたい」と夢が芽生えてきた。

歯学部を卒業後、2年間猛勉強して同大医学部へ進学。
4年生になり、大学病院での実習が今年1月から始まった。
精神科、心臓血管外科などほとんどの科を1年で回る。
「いろんな科で相性を見極めたい」と充実した日々を送っている。

実のところは、現実の厳しさも知った。
「患者の話を聞くことが重要な診療医は難しいのでは」と言われたり、
手術室で意思疎通に時間がかかったり。

「聞こえづらい」のは外から見えにくい。
落ち込む日もあるが「医師として働くことで、少しだけ社会が変わるかも
しれない」と自分を奮い立たせている。

難聴になって、疎外感を感じる経験もした。
話の中で誰か笑っても訳が分からず、聞き直しても聞き取れない。
すると周りは「大したことないから」と教えてくれなくなる-。

目代さんは「障害で幸せになれないと考えるのは悲しい。聞こえづらくても、
患者さんといいコミュニケーションが取れる医師になりたい」と希望に
燃える。



https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180303-00000005-nagasaki-l42



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