今日は何の日:故モハメド・アリ 満74歳没

[モハメド・アリ]

(Wikipedia)


モハメド・アリ(1942年1月17日〜2016年6月3日)は、アメリカ合衆国の
元プロボクサー。

1960年のローマオリンピック・ライトヘビー級金メダリスト。

プロに転向するや無敗でヘビー級タイトルを獲得。
その後は3度タイトル奪取に成功し通算19度の防衛を果たした。


イスラム教改宗前の本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア。
1964年にネーション・オブ・イスラムへの加入を機に、リングネームを
カシアス・クレイからモハメド・アリに改めた。
マルコム・Xと出会いその思想に共鳴。
イスラム教にも改宗。
ベトナム戦争徴兵の拒否により米国政府と長期にわたって争った。
最終的には無罪を勝ち取った。
その発言と行動は当時の米国政府や保守派との深刻な対立をもたらし、
世界タイトル剥奪や長期の試合禁止等様々な圧力が加えられた。


大男たちが力任せに殴り合いをしていたヘビー級に華麗なフットワークと鋭い
左ジャブを活用するアウトボクシングを持ち込んだアリのボクシング
スタイルは、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容された。

ベトナム戦争への徴兵を拒否したことから無敗のままヘビー級タイトルを剥奪
され、4年間試合を禁じられたが、復帰後、実力でタイトル奪還を果たした。

タイトル剥奪後、ジョー・フレージャーに挑戦、初めての敗北を喫したが、
3年後、フレージャーにかわり新王者となっていたジョージ・フォアマンに
鮮やかなKO勝ちをおさめ、王者に返り咲いた。
当時、一般には全盛を過ぎたと見られていたアリが史上最高のハード
パンチャーと目されたフォアマンを破ったため、「キンシャサの奇跡」とも
呼ばれる。


以降、アリはたくみに相手のパンチをかわし、空振りさせることで相手の
体力と精神を消耗させる一方、ロープを利用して自らの体力は温存するという
クレバーな作戦をとるようになる。

対戦相手のパンチを被弾することも増加していったため、後年のパーキンソン
病の遠因ではないかとする説がある。


引退後にパーキンソン病にかかり、長い闘病生活に入った。



<アトランタ・オリンピック>
1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式、聖火台の点火者は当日
まで秘密にされていたが、女子水泳選手のジャネット・エバンスが、点火台
まで聖火のトーチを運び上げた時アリは彼女からトーチを受け取り、病気の
ため震える手で点火用のトーチに火を点けた。
聖火が燃え上がるとともに、アリに向けて、満場の観衆から拍手が送られた。

開会式の実況をしていた島村俊治アナウンサー(NHK・当時)が「感動で、
手が震えています」と言ったが、誰も訂正しなかった。
誰が最終点火者か秘密だったので責められないが、実際にはパーキンソン病の
症状で手が震えていた。



<死去>
2016年6月3日死去。
74歳没。
死因は敗血症ショック。





カテゴリー: げ芸能人・有名人, パーキンソン病 タグ: パーマリンク