弁慶の立ち往生

[こんなにも面白い医学の世界 第18回 弁慶の立ち往生] (レジデントノート2016年3月号掲載) 救急外来で心停止から少し時間が経過して発見された患者さんが運び込まれる ことがあります。 気管挿管しようとしても顎がかたくなっているなど、いわゆる死後硬直が 起きている場合には死後数時間は経過していると判断して、そのまま死亡 確認をすることになります。 学生時代に生理学で学んだことを思い出してください。 筋肉にはエネルギーの貯蔵・供給・運搬を仲介する重要物質であるATP (アデノシン三リン酸)が大量に含まれています。 筋収縮・筋弛緩はアクチンでできた細いフィラメントと、ミオシンでできた 太いフィラメントの滑り運動によって起こりますが、この滑り運動にはATPが 使われます. 死後硬直といわれる現象は、ATPの不足によって、筋を構成するアクチンと ミオシンとが強く結合して滑らなくなってしまい、硬直複合体である アクトミオシンを形成することで起こります。 さらには血流途絶により筋肉中で嫌気性解糖が起こって、グリコーゲンが 嫌気的に分解されて乳酸が生成されることで筋肉内のpHが低下することも 大きな要因です。 このようにして死後硬直は、室温(20℃前後)では死後2〜3時間程度経過 すると顎、首からはじまり、約半日で四肢の関節に及びます。 死後硬直はATPの枯渇によって進行するので、体内のATPが通常よりもともと 少ない場合、例えば激しい運動で肉体が疲弊している状態のまま死亡した場合 などには、硬直は通常よりも早くはじまると言われています。 身近な話では、漁獲時に苦悶死した魚は筋肉におけるATPの消費が多く、 死後硬直の進行が速いため、鮮度を保つために活け締めをするそうです。 無数の矢を受けても薙刀を杖にして、仁王立ちのまま息絶えた弁慶の 立ち往生や、日清戦争で銃弾を受けて戦死しても突撃ラッパを口から 放さなかった木口小平の逸話も、戦いで疲弊しATPを消費していたために 死後硬直の進行が速かったのではないか、といわれています。 しかし、このような死んでなお主君のために忠誠を表すような美談はそのまま 大切にしたい気もしますね。 (岡山大学医学部 救急医学  中尾篤典先生) https://www.yodosha.co.jp/rnote/trivia/trivia_9784758115650.html
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