DV、過食、顔面マヒ…中島啓江さんが乗り越えた壮絶人生

[DV、過食、顔面マヒ…中島啓江さんが乗り越えた壮絶人生]

(日刊ゲンダイ  2014年11月30日)


「4オクターブの美声が素晴らしかった」「DVや過食症に苦しむ人たちを
勇気づけ、支えとなった」などと、さまざまな声が上がっている。

23日、呼吸不全のため、57歳で亡くなったオペラ歌手・中島啓江さんの
ことだ。


TVのバラエティーでは、ふくよかな容姿と明るい笑顔でお茶の間に親しまれ
ていたが、その人生は壮絶そのもの。

著書「答えは、YES!~ビッグ・ママからのメッセージ」などによると、
故郷の鹿児島では、実の父親から日常的に殴り蹴られるDVに苦しみ、母と
逃げ回りながら、怯えて育った。酒に酔っては家庭内暴力をふるう最悪の
父親だったようだ。


それでも苦学して昭和音楽短大を出て、1979年にオペラ歌手として
デビュー。
宮本亜門演出のミュージカル「アイ・ガット・マーマン」などに出演し、
脚光を浴びるも、幸せは長くは続かない。

一番の理解者だった最愛の母は1997年に亡くなり、揚げ句、「金くれ」と
父親が中島さんの家に上がりこんできたという。

その過度のストレスから過食症に顔面神経まひ、メニエール病と、さまざまな
病にかかり、2010年ごろには、165センチの身長に、160キロ超の体重に
なっていたという情報まであった。

芸能リポーターの川内天子さんによると、「オペラ歌手の方は共鳴効果を
高めることもあり、大きな体のほうがいいという意見もあるそうです」と
いう。
2007年に71歳で亡くなったイタリアのオペラ歌手、ルチアーノ・
パヴァロッティも150キロもの巨体だったし、中島さんの歌手としての
魅力であったともいえるだろう。


とはいえ、華やかな舞台の幕が下りれば、父親との私生活が待っていた。
2007年、とてつもない額の借金を残し、がんで亡くなるまで父親は
中島さんを苦しめ続けたとテレビなどで語った。

そうした壮絶人生を生きてきて、中島さんは「生きることの大切さを
伝えたい」と、同じように苦しむ人々を励まし続けた。
中島さんの好きな言葉は「ありがとう」だったという。




http://news.livedoor.com/article/detail/9523153/






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