前川清さん 股関節症(2)痛み治まり音楽の道へ

[歌手 前川清さん 股関節症(2)痛み治まり音楽の道へ] (読売新聞  2014年2月20日) 右足の付け根の痛みは、小学校の高学年になると一時治まった。 スポーツが好きで、中学と高校では野球部に所属。 長身だったので投手だった。 「でも、右足の方が細くて弱い。やはり本物の投手になるには、きつかった」 勉強がいやになり、親に内緒で高校を中退した。 弁当を作ってくれる母に申し訳なくて、しばらくは山で食べていた。 しかし、何日かして両親に知られてしまった。 「おやじの寂しそうな顔が今も忘れられない」 両親が仕事の都合で長崎を出ることになったが、一人残った。 食べていくためにと思い立ったのが、音楽の道だった。 地元佐世保の米軍基地から流れてくるジャズやエレキギターに、若い血が 騒いだ。 ギターに挑戦したものの、弦を押さえる手の指先が痛くてあきらめた。 楽器がだめで、行き着いたのが歌い手。 佐世保の夜の街で歌手のアルバイトを始めた。 報酬は、カレーライスの食べ放題で十分だった。 その頃、長崎で音楽に興味を持っている人たちのあこがれだったのが 「内山田洋とクール・ファイブ」。 正式な歌い手がいなかったので、頭角を現してきた、まだ20歳前の若い歌手が 誘われた。 「初めは楽器持ちのバンドボーイ。時たま歌うチャンスが与えられると、 うれしかった。あの頃は、足の痛みも不思議となかった」 http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=93251No tags for this post.
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