今日は何の日:ジョン・ポール・ゲティ3世  満54歳没

[ジョン・ポール・ゲティ3世]

(Wikipedia)


ジョン・ポール・ゲティ3世(1956年11月4日〜2011年2月5日)は、
石油王J・ポール・ゲティの孫。

1973年に起きた自身の誘拐事件で一躍世界の注目を浴びた。

父親がゲティ家石油事業のイタリア支部トップであった関係で、ゲティは
幼児期の大半をイタリアのローマで過ごした。

両親は1964年に離婚。
父親は1966年にモデル・女優のタリサ・ポールと再婚した。



<誘拐〜ゲティ家の身代金〜>
1973年7月10日の午前3時、当時16歳のゲティはローマのファルネーゼ
広場で誘拐された。

1700万ドルの身代金を要求する脅迫状が届けられた。

彼は山中の隠れ家に目隠しをされ、監禁されていた。

ゲティ卿は身代金の支払いを拒否した。
表向きは「もしここで身代金を支払ったら、他の14人の孫たちも金目当てに
誘拐されるかもしれん」という理由ではあったが、総資産50億ドルとも
言われるゲティは極端な吝嗇家としても知られていた。

その裏で元CIAの交渉人チェイスを呼び寄せ、孫の奪還作戦を指示する。

余裕飄々としているゲティとは対照的に、3世の母親であるアビゲイル
(ゲイル)は息子が殺されるかもしれないと怯えていた。
ジョン・ポール・ゲティ2世との離婚で既にゲティ家を離れていたゲイルには
身代金の支払いは不可能であった。

警察やチェイスはゲティ3世もしくはゲイルによる狂言誘拐を疑い始める。
ゲイルの一挙手一投足を報道しようとマスコミが付きまとい、事件は世界中を
巻き込んで加熱していく。

1973年11月、一房の髪と切り落とされた人間の耳が入った封筒が新聞社に
送り付けられるという事態が発生する。
10日以内に320万ドルを払わなければもう片方の耳も送るという脅し文句と
共に。

この時点でゲティ卿は身代金支払いに同意したが、支払ったのは所得から
控除できる最大限度額の220万ドルのみであった。
残りの金額は4%の利子で息子に貸し付けた。

支払いを渋るゲティ卿は交渉により約290万ドルで孫を取り戻した。

身代金が支払われた直後の1973年12月15日、ゲティ3世はポテンツァ県
ラウリーアの給油所で生きて発見された。

誘拐犯一味として9人が逮捕された。
メンバーには大工、衛生兵、前科者、オリーブ油ディーラーのみならず、
ジローラモ・ピロマーリやサヴェーリオ・マンモリーティといった
カラブリア州のマフィア組織ンドランゲタの幹部も含まれていた。
この内2人には有罪判決が下り刑務所に送られたが、ンドランゲタのボスも
含む他のメンバーは証拠不充分で無罪となった。

身代金の大半は戻らなかった。



<誘拐後>
1977年(20歳)、ゲティは誘拐犯によって切り落された耳の再生手術を
受けた。

ゲティはアルコール依存症と薬物依存症に陥る。

1981年(24歳)に飲んだジアゼパム、メサドン、アルコールのカクテルが
肝不全と脳梗塞を引き起こした。

頸髄損傷と殆ど視力を失うという後遺症を残した。

その後も完全に回復する事は無く、残りの30年の人生を重度の障害を
抱えたまま過ごした。

2011年2月5日、ゲティはイギリス・バッキンガムシャーのワームズリーで
母アビゲイルに介護されながらの長い闘病の末に54歳で亡くなった。



<弟と息子>
弟のマーク・ゲティは写真配信大手ゲッティイメージズの共同創業者。

息子は俳優のバルサザール・ゲティである。





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