パニック障害発症で番組を降板した円広志

[プレイバック芸能スキャンダル史
               パニック障害発症で番組を降板した円広志]

(日刊ゲンダイ  2012年12月25日 掲載)


<1999年9月>
「とんでとんで……まわってまわって」の「夢想花」のヒットで知られる
円広志。
「パニック障害」を発症し、治療のためにレギュラー出演する全番組を降板
する騒ぎになったのは1999年。

円は1978年の「夢想花」ヒット後はトークの才能を発揮、おもに関西
ローカルのバラエティー番組を中心に活躍していた。
レギュラーを6本も抱える忙しさだった。

しかし、45歳の時、番組生放送中に「このまま気を失って倒れるのでは
ないか」という激しい恐怖感に襲われる。
本番前に椅子に座っている時から、まるで世界がぐにゃりと歪むように感じ、
本番中に立っていられなくなったという。
共演者が驚く中、ついに椅子に座ってしまう。
1時間の生放送が本当に長く感じられてひたすら時間が過ぎ去るのを待つ、
地獄のような苦しさだった。

車の運転中にも発作は起きた。
渋滞や信号で車が止まったにもかかわらず、周りの景色が流れていく感覚に
襲われ、車を置いて逃げ出したい衝動にかられた。

当初は不安を酒でごまかしていた。
酒を飲むと不安が解消。
「日が暮れると砂漠でオアシスを見つけたときのようにガブガブ飲んだ」と
いう。
体調不良と酒浸りの日々は半年以上続き、ついに1999年9月にすべての
レギュラーを降板した。


円はテレビの仕事をやめたら、少しは楽になると考えていたが、実際には
逆だった。
症状はどんどん悪化。
朝、カーテンを開けて空を見て鉛色に見えるだけで絶望感を感じ、布団に
逆戻りする日々が続いた。
徳島の別荘で転地療養も試みた。
しかし、途中の高速道路が不安で、生きた心地がせず、発作の不安からも
解放されなかった。


当時はまだ「パニック障害」という病気の認知度は低く、病院を転々とした。
病名がわかったのは6軒目の耳鼻咽喉科のめまい外来を受診した時だ。
ここで「パニック障害」と診断され、1日3回服用する治療薬と発作時の
応急薬を処方してもらうようになって症状は快方に向かった。


パニック障害では完全休養すると長期化やうつ症状など病気の悪化を招く
ことがある。
円の場合、キャンセル料を避けるためにステージの仕事だけは無理してでも
続けたことが幸いした。
スポットライトに恐怖を感じる円のため、ステージ全体を明るくするなどの
配慮もなされた。


妻も闘病を支えた。
かつては“鬼嫁”呼ばわりしたこともあったが、洗濯する妻の背にしがみつき、
寝る時も手を握りしめたという。
円は4カ月後、仕事を再開する。
「戻ってくるまで待ってるから」というスタッフの言葉通り、上沼恵美子と
共演するバラエティーでは円の席が以前と同じように用意されていた。

その後も闘病は長く続いたが、円は“がんばりすぎない”ようにしながら仕事を
増やした。


2009年1月に「僕はもう、一生分泣いた―パニック障害からの脱出」を出版
して話題になった。




http://gendai.net/articles/view/geino/140370




カテゴリー: げ芸能人・有名人, し心療内科,  パニック障害 タグ: パーマリンク