フィラリア感染による持病があった西郷隆盛

[歴史上の人物を診る:フィラリア感染による持病があった西郷隆盛]

(朝日新聞  2012年8月10日)
(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授 早川智先生)



良くも悪くも近代日本の始まりである明治維新の立役者の一人が、西郷隆盛で
あることにはどなたも異存がないと思う。
しかし、彼の生涯は国事に奔走した文久〜慶応の時期と、唯一の陸軍大将と
して軍の頂点に立ち、また参議として旧藩主をも上回る地位につきながら
下野し、最後には城山に自刃する後半生が著しいコントラストをなす。



<外遊しなかった理由>
西郷隆盛(通称吉之助)は、文政10年12月7日(1828年1月23日)薩摩藩の
下級武士・西郷吉兵衛隆盛の長子として加治屋町に生まれた。
正しい諱は隆永であるが、明治維新の時に誤って父の名を届けたためこれが
正式名となった。
文武両道に優れていたが、少年時代に友人たちの喧嘩の仲裁に入って右腕の
腱を斬られ、剣術修行ができなくなり、その分も学問に邁進した。
英明で知られる藩主・島津斉彬に若くして抜擢されるが、その急死により
失脚。
奄美大島、さらには沖永良部島に流される。
しかし、数年を経ずして家老・小松帯刀と、親友大久保利通の後援を受けて
復帰。
抜群の政治力と人望で禁門の変から薩長同盟、王政復古、そして戊辰戦争を
戦い抜いて明治維新を成し遂げる。
特に旧知の勝海舟との降伏交渉で、江戸を火の海から救ったことは有名で
ある。

ただ、政治的偉人としての西郷の活躍はここまでであった。
ともに維新を成し遂げた岩倉使節団の外遊には同行せず、朝鮮との国交回復
問題では征韓論を主張したとして盟友大久保らと対立。
ついには下野して鹿児島に戻り、私学校での教育に専念する。
しかし西南戦争の首魁に祭り上げられ、明治10年(1877年)9月24日
鹿児島市城山で自刃した。


かつて「ロマン主義の高揚と敗北」といった視点でつづられた西郷の行動。
若いころから「ナポレオン殿」「ワシントン殿」と憧れていたフランスや
アメリカ合衆国への渡航を、持病が妨げていたのではないかと、筆者は思う。

肥満以外には生来健康だった西郷だが、フィラリアの感染による陰嚢水腫と
象皮病という厄介な持病があった。


フィラリア症では、蚊によって媒介されたバンクロフト糸状虫の幼虫
ミクロフィラリアが、リンパ管・リンパ節に寄生してリンパ組織を破壊し、
慢性炎症を起こす。

やがて特に下半身の皮下に強い浮腫をきたし、さらには増殖硬化して象の足の
ようになる。


城山での悲劇的な最後の後、首のない遺体を同定できたのは、下半身の変化に
よるという。

感染時期は不明だが、当時の感染状況からして2度目の流罪先だった
沖永良部島の可能性が高い。



<寄生虫に寄生>
フィラリア感染者は全世界で1億,2000万人に達し、ヒトの寄生虫疾患では
マラリアに次ぐ頻度である。

しかし感染者の中で症状が出現するのは10〜20%程度である。
しかもミクロフィラリア血症とリンパ浮腫の発症頻度や症状の程度は相関
しない。

慢性的な持続感染をきたす最大の要因は特異的な免疫寛容で、制御性T細胞の
誘導やIL−10、TGF−βの誘導、IL−17の抑制がかかわる。
さらにリンパ液の脈管外漏出にはVEGFが深く関与する。

興味深いことに、フィラリア感染患者に抗菌薬ドキシサイクリンを投与すると
フィラリア虫体の消失と同時に上昇していたVEGFも低下する。
いかにテトラサイクリン系が広域性とはいえ、真核生物である糸状虫に有効で
あるというのは長く謎であった。

しかし近年、フィラリアにはリケッチアに近縁のWolbachia属の細菌が共生
しており、これが宿主への免疫調節やTLR2を介したVEGF−Cの誘導に必須で
あることが分かった。

寄生現象は、細菌から高等動植物まで自然界でごくごくありふれた現象で
あるが、幕末の偉人の政治姿勢を決めたのが小さな寄生虫であり、さらに
その寄生虫に寄生する微生物が病態を決定していたとは、19世紀に生きた
西郷さんはもとより、20世紀の間は誰しも思いもよらないことだったで
あろう。


(メディカル朝日  2011年11月号掲載)


http://www.asahi.com/health/rekishi/TKY201208100226.html




カテゴリー: か感染症(細菌・ウイルス・真菌・寄生虫), げ芸能人・有名人, だ男性科 タグ: , パーマリンク