ミケランジェロと痛風とビタミンCと

[歴史上の人物を診る: 晩年も創作意欲を失わず、長寿を保ったミケランジェロ] (朝日新聞  2012年7月20日) ヴァチカン宮殿にあるローマ教皇の書斎「署名の間」には有名なラファエロの 「アテネの学堂」の壁画がある。 中央には天上を指差すプラトンと地上を指差すアリストテレスが、階段には 定規を持つユークリッド、ハーモニーを吟ずるピタゴラスら、ギリシャ古典 時代の大学者が描かれている。 <芸術家をモデルに> 画中の人物は、作者と同時代の尊敬する芸術家にモデルをとったという。 実際、プラトンは老齢のレオナルド・ダ・ヴィンチの自画像にそっくり。 アリストテレスは、大先輩ミケランジェロをモデルにしている。 階段下で頬杖をついて物思いにふける中年男性は、万物流転を説いた ヘラクレイトスとされる。 これもモデルは同じである。 最初のデッサンにはないことから、尊敬する巨匠を目の当たりにし、書き 加えたという。 威風堂々たるアリストテレスよりこちらのほうが、鼻の曲がった ミケランジェロの自画像に似ている。 米国ジョージタウン大学の循環器科医Espinelはヘラクレイトスとされる 人物の右膝の皮下に黄白色の結節があること、ミケランジェロが尿路結石に 苦しんだ記録があることから、これが痛風結節であるという仮説を提唱した。 「アテネの学堂」が描かれた1510年はミケランジェロ35歳。 脂の乗り切った時期である。 自ら鎧をまとって戦うことで有名な教皇ユリウス2世は、ミケランジェロを 招き、システィーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じた。 「アテネの学堂」とほぼ同時期であることから、ラファエロはミケランジェロ を頻繁に見る機会があったことになる。 <帝王病とも言われ> 痛風はエジプトのパピルスやヒポクラテスの書物にも記載される病である。 古代マケドニアのアレキサンダー大王や太陽王ルイ14世、精力絶倫の英国王 ヘンリー8世、プロシアのフリードリッヒ大王、東洋では元のフビライ帝や 清の皇帝たちが罹患したため、帝王病と言われている。 1848年にギャロットが痛風と尿酸の関係を指摘し、20世紀になって血中 尿酸値が測定できるようになると、その病態が明らかになった。 37度の体温で尿酸が6.8mg/dLを超えると過飽和になり、関節や腎臓でpHが 下がると結晶を生じて炎症の原因になる。 核酸が代謝されるとヒポキサンチン、キサンチンを経て尿酸になる。 多くの哺乳類では尿酸酸化酵素によって無害な尿素になるが、霊長類では 3カ所の突然変異があって活性を消失している。 不利な高尿酸血症をもたらす変異遺伝子が広まったのは、尿酸に強い抗酸化 作用があり、ビタミンCを生体内で合成できなくなった霊長類が、果物が 採れた森林から狩猟採集のために草原に出ていった時、尿酸値の高い個体群の ほうが有利であったからという。 尿酸値が高いと攻撃的な性格になりやすいという説もある。 先天的に尿酸値が異常に高いLesch Nyhan症候群では自傷行為を伴う攻撃性が 問題となるが、痛風発症の重要な要因は肉食やストレスの多い生活とともに、 攻撃的な性格とされる。 ミケランジェロは同郷の先輩レオナルドやパトロンであったメディチ家の 人々、教皇と度々衝突し、友人の少ない狷介な人物だったというが、それを 裏付けるかもしれない。 <死の3日前まで> 一病息災というか最晩年まで創作意欲を失わず、88歳の長寿を保った。 ミラノにある未完成の「ロンダニーニのピエタ」は、眼を侵された巨匠が 手探りで死の3日前まで彫っていたという。 16世紀後半にはイタリアのほとんどがハプスブルク家の支配下に置かれ、 故郷フィレンツェ共和国も専制君主国となった。 異教に寛大なローマ教皇庁も反動宗教改革の波に押されて異端審問を行う ようになる。 同時代を築いたレオナルドやラファエロ、多くの崇拝者やパトロンに 先立たれたミケランジェロは、長寿であった故の寂しさを痛感していたかも しれない。 (早川 智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授、メディカル朝日 2011年10月号掲載) この連載コラムでは、豊富な文献と現代の知見を交えて歴史上のあの人を診断 します。 筆者の専攻は産婦人科感染症、生殖免疫学、感染免疫学。医史学にも造詣が 深く著書に『源頼朝の歯周病』『ミューズの病跡学I、II』があります。 http://www.asahi.com/health/rekishi/TKY201207190217.html
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