メンデルスゾーン家は近親婚が原因と考えられる卒中・突然死が多かった

[歴史上の人物を診る: メンデルスゾーンの一族は、卒中による突然死が多かった] (朝日新聞  2012年4月10日) (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授 早川智先生) メンデルスゾーン(1809〜1847年) <ぜんぶ持ってる人> 世の中には才能も容姿も、そして経済的にも恵まれた人はいるものである。 作曲家のメンデルスゾーンはその典型と言える。 難曲で名高い「バイオリン協奏曲」、おなじみの「結婚行進曲」、 交響曲「イタリア」「スコットランド」、序曲「フィンガルの洞窟」など、 親しみやすいメロディーと高度な技法を駆使した緻密な構成の作品は、 現代でもファンが多い。 また、当時忘れ去られていたバッハの「マタイ受難曲」の公演を成功させ、 古楽復興のさきがけと言うべき功績も残している。 フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn)は1809年2月3日、 ドイツ、ハンブルクの裕福なユダヤ人銀行家の長男として生まれた。 ナポレオンの勃興と没落といった激動の時期に、メンデルスゾーン家は 有数の財閥だったが、反ユダヤ感情の中で1816年ルーテル派のキリスト教に 改宗した。 9歳でモーツァルト同様ピアノの公開演奏を行い、17歳にして「夏の夜の夢」 を作曲したフェリックスは、幼少時から絵画や語学などにも優れた才能を 見せた。 19歳でベルリン大学に入学し、哲学を学ぶ。 28歳で結婚。 妻のセシルは歌とピアノをよくし、多忙で神経過敏な夫を優しく迎え、 5人の子どもにも恵まれて幸せな家庭を築く。 彼の作品は英国のヴィクトリア女王夫妻や、プロシアのフリードリッヒ4世 国王他ヨーロッパ上流階級に広く受け入れられた。 まさに時代の寵児であったが……。 <呪われた家系?> 遊んで暮らせる資産と、あふれるばかりの才能、端正な容姿、多くの友人と 美人で優しい妻、そして幸せな家庭と、何一つ欠けるもののない人生で あるが、メンデルスゾーン家には卒中で突然死する者が多いという暗い影が あった。 高名な哲学者であった祖父モーゼス、銀行を創立した父アブラハム、 ピアニストとして名を馳せた姉ファニーはすべて脳卒中で死亡している。 祖父と父は60代、4歳年上の姉は42歳の若さだった。 心ない世間から「メンデルスゾーン家の呪い」と言われた家族の卒中死は、 その後の彼の人生に影を落とす。 快活で多作だったフェリックスも、姉の死には憔悴しきり、1847年10月9日 突然のひどい頭痛と手の麻痺に襲われる。 いったん回復するも11月1日再び発作が生じ、3日午後再び頭と首の強い 痛みを訴えたあと昏睡状態に陥り、4日、38歳で死亡した。 彼と一族の死の原因としてはクモ膜下出血と高血圧性脳出血が最も考え やすい。 3週間前の発作がいわゆる「警告出血」だったのではないか。 父、祖父、姉がすべて同じ診断だとすれば家族性高血圧症があったかも しれない。 他にも遺伝性嚢胞腎や家族性の脳動静脈奇形、遺伝性高脂血症や抗リン脂質 抗体症候群、凝固因子異常などの可能性が指摘されている。 父の代に改宗したとはいえ、メンデルスゾーン家はユダヤ人であり、 代々近親結婚を繰り返してきた。 実際、東欧中欧のユダヤ人には他の西洋人に比較して、ニーマン・ピック病や テイ・サックス病など遺伝的な代謝異常症が多いことが知られている。 一方で、ユダヤ人社会には彼のような天才がしばしば見られることから、 劣性発現する優れた形質を与える(たぶん複数の)遺伝子と、致死的な 遺伝子が連鎖して家族内に存在したのかもしれない。 第2次世界大戦以後、ユダヤ人に対する偏見はかなり薄れたとはいえ、 いまだにユダヤ人と非ユダヤ人の結婚は多くはないそうである。 もっとも、もしメンデルスゾーンが現代に生きていれば、早期診断と適切な 抗凝固療法や降圧剤、画像診断と脳外科手術によって救命できたかも しれない。 しかし血圧計の発明が1896年であり、検査法や安全な開頭手術の確立が すべて20世紀の産物であることを考えると、いかに大金持ちであっても 19世紀に生きたメンデルスゾーン家の人々にはどうしようもないことである。 http://www.asahi.com/health/rekishi/TKY201204100231.html        
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