スイーツの功罪と夏目漱石

[歴史上の人物を診る:大量吐血で生死の境をさまよった夏目漱石] (朝日新聞  2012年1月10日) (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野  早川智教授) 夏目漱石(1867〜1916年)   深夜まで原稿を書いていると、お腹がすいてくる。 空腹を満たすものが手元にあれば、これをつまみながら仕事を続けることが できる。 職場でも家でもさらにホテルでも煙草が吸いにくくなった昨今、文士の友は お菓子になっているかもしれない。 しかし、当然ながらこれを続けると血糖値も上がるし高脂血症も来す。 決して長くはない生涯に、膨大な作品を残した明治を代表する文豪・夏目 漱石も、知る人ぞ知る甘党であった。 <神経衰弱と胃潰瘍> 漱石(本名金之助)は1867(慶応3)年1月5日、江戸牛込の名主の家に 生まれた。 明治維新前後、生家の経済的没落から養子に出され苦労するが、大学予備門を 経て帝国大学に入学、英文学を学ぶ。 卒業後は愛媛県尋常中学、熊本の旧制五高に英語教師として赴任。 1900(明治33)年には英国に留学し、3年後に帰国すると東京帝大などで 講師を勤める傍ら、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「倫敦塔」などを 執筆する。 1907年には東大を辞して朝日新聞社に入社。 「虞美人草」「三四郎」など連載小説に取り組み、流行作家となる。 しかし神経衰弱と胃潰瘍に悩まされ、1910年には東京・内幸町の長與胃腸 病院に入院、その後修善寺で療養中、大量の吐血をして生死の境をさ迷う。 いわゆる「修善寺の大患」である。 病後の心境の変化が晩年の「則天去私」の思想につながるが、1916年12月 9日、胃潰瘍からの出血により死去した。 享年49。 <スイーツの功罪> 子息の夏目伸六によると、来客が多い夏目家では常に酒肴を用意していたが、 漱石は下戸で晩酌は「正宗」を猪口一杯であったという。 洋行後は朝食はパンになったが、イギリスパンにバターと砂糖をつけ、紅茶 にもたっぷり砂糖を入れていた。 好物はシュークリームやアイスクリームなどの洋菓子で、到来物があると、 家族や門人には与えず一人で食べてしまったという。 さらに、ジャムが大好きで、「吾輩は猫である」には漱石の分身である 苦沙弥先生が、ジャムを舐める情景が度々登場する。 漱石の“食”を研究する河内一郎は、著書『漱石、ジャムを舐める』で「猫」が 書かれた1905年当時、流通していたのは英国キャンベル社の苺ジャムでは なかったかと考証する。 こうしたわけで漱石には糖尿病の持病もあった。 ただ、糖尿病が直接の致命的疾患であったという証拠はない。 一方、見過ごされがちであるが、糖尿病患者ではピロリ菌(Helicobacter pylori)の保有者が多い。 ピロリ菌はウレアーゼ活性があり胃粘膜でアンモニアを産生し、消化性潰瘍の 原因となる。 逆にピロリ菌の存在自体が一部の糖尿病の悪化要因になる。 20世紀も後半になってからH2ブロッカーやプロトンポンプインヒビターなど 優れた抗潰瘍薬が開発され、さらに除菌療法が一般化したが、当時としては 胃に細菌がいて疾患の原因となっているという概念自体が存在しなかった。 また、糖尿病もその存在は知られていたが、インスリン発見は漱石没後5年の 1921年であり、臨床応用はさらに先である。 理性的ではあっても、文学上の悩みや人間関係の悩みも深かった漱石に とって、甘いものはストレスのはけ口だったのだろう。 ロンドン滞在中、言葉も通じず、風采も上がらない東洋人は下宿にこもって ひたすら原書を精読する毎日を送る。 そんな時、心の安らぎとなったのが、英国で初めて出会った甘いジャムと 砂糖のたっぷり入った紅茶だった。 糖分は直接、血糖値を上げるのみならず、βエンドルフィンの分泌を促進し、 反応性に分泌されるインスリンは脳内でトリプトファンからセロトニンの 合成を促進して安堵をもたらす。 ストレスは胃潰瘍はもちろん糖尿病にも重要な悪化要因である。 しかし、明治という時代のエリートにとって、諸々のストレスは逃れられない 義務であった。 自身が見出した甘いものによる解決が文豪の寿命を縮めたのかもしれない。 (早川 智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授、 メディカル朝日2010年10月号掲載) http://www.asahi.com/health/rekishi/TKY201201090098.html
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