視野が黄色く見える「黄視症」はジギタリス中毒の典型的症状

[歴史上の人物を診る:ゴッホの異常行動を考える]

(朝日新聞  2011年10月20日)
(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野 早川智教授)

ゴッホ(1853〜1890年)


19世紀のフランスには、新古典派から印象派を経て、20世紀に開花する
キュービスムやシュールレアリスムなど新たな美の潮流が次々現れた。

その中でもひときわ大きな存在感を示すのが、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
であろう。
ゴッホの前にも後にも(意識的な模倣は別として)彼のような画風は存在
せず、一連の作品は美術史の中でも孤高を保っている。
しかし現在でこそ絵画市場で最も高値の付く画家であるが、生前にはほとんど
評価されず1枚しか売れなかったという。

ゴッホは、1853年3月30日オランダ南部ズンデルトの牧師の家に生まれた。
16歳で美術商の伯父が経営するグーピル商会に勤めるが、失恋を機に離職。
次に補助牧師を目指したものの、人間関係のトラブルでこれも中断。
画家になることを決心したのは27歳の時。
ブリュッセルで個人的に師についたが満足できず、翌年にはアントワープの
美術学校に入る。
1886年には芸術の中心地だったパリに移住し、2年後にはゴーギャンと
アルルで共同生活を開始する。
しかしじきに不和となり、自画像の耳の形をからかったゴーギャンへの
腹いせに、自らの左耳を切り取って女友達に送り付けた。
見かねた周囲の勧めもあって、サン=レミ=ド=プロヴァンスの精神科病院に
入院。
退院後は精力的に創作活動を行うが、1890年7月27日、パリ郊外の
オーヴェル・シュル・オワーズで腹部を銃で撃ち、2日後に死亡した。
享年37。



<奇行の原因>
ゴッホの奇行は生前から有名で、その生涯と独自の作風は後年に病跡学者の
格好の材料となり、現在までに、「双極性障害」「統合失調症」「緑内障」
「メニエール病」「神経梅毒」などの仮説が提唱された。

メニエール病では幻聴やめまい、耐え難い耳鳴りのために自らの耳を鼓膜が
破れるまでたたく例があり、ゴッホの耳切りもその延長ではないかとする説も
ある。
ただ、メニエール病では切断した耳を送るという行動は説明できない。

様々な精神神経症状を説明する場合、梅毒説は好都合である。
実際、ゴッホが同時代のロートレックやゴーギャン同様、娼婦との交渉を
好んでいたこと、17〜19世紀フランスでは梅毒が猛威を振るっていたこと
などから感染していた可能性は高い。
だが晩年まで彼の外観にゴム腫やバラ疹などの皮膚所見は見られない。


もう1つ、アルコールや薬物中毒の可能性もある。
ゴッホや同時代の芸術家が愛飲したアブサンは、ニガヨモギのテルペノイド、
ツヨンを含み、幻覚作用や錯乱作用があるとされる。
しかし毎晩泥酔する画家は数多いて、その中でもゴッホの芸術的境地は異彩を
放つ。
もっとも、最近ではよほど大量に摂取しなければツヨン自体にそれほどの
毒性はないとされている。



<黄色が最も美しい>
英国のアロンソは、ゴッホの主治医だったガッシュ博士がジギタリス治療を
得意としており、ゴッホは適応外かつ過剰な投与を受けたのではないかという
仮説を提唱している。
視野が黄色く見える「黄視症」はジギタリス中毒の教科書的な症状の1つで
ある。
ゴッホがオランダやパリで過ごしていた時の絵は暗い色調であるのに対し、
南仏に移って突然画風が変わったのは、南欧の夏の光や日本の浮世絵の影響に
加えて、ガッシュ博士の治療が始まったためであるという。
面白いことにこの時期のゴッホによるルーベンスの模写は、原画に比べて
著しく黄色がかっている。
しかしゴッホ自身、弟のテオに宛てた手紙に「黄色が最も美しい」と記す。
単なる黄色好きかもしれない。


ゴッホ没後100年に、生前のゴッホを知っていた長寿記録者のジャンヌ・
カルマン夫人(当時113歳)が、「汚い格好をした変な人だった」と証言して
いる。
ゴッホが変わり者で周りから受け入れられなかったことは間違いないが、
彼の異常行動は芸術上の表現と分けて考えるべきだろう。



(早川 智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)



http://www.asahi.com/health/rekishi/TKY201110200253.html


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