ドラキュラは、なぜニンニクや光を避けるか?

[ドラキュラは、なぜニンニクや光を避けるか?] (朝日新聞  2011年7月20日)(早川智:歴史上の人物を診る) <話題の人> 10月31日のハロウィーンの夜に新宿や六本木など盛り場を歩くと、 ドラキュラ伯爵に出会う。 赤い裏地の黒マント、蒼ざめた顔色で犬歯をむき出した長身の紳士という イメージは、19世紀の小説『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー作) から生まれた。 ストーカーのドラキュラのモデルとなったのは、ルーマニア東部トランシル ヴァニア地方ワラキア公国の領主ヴラド3世(1431〜1476)。 父ヴラド2世は神聖ローマ帝国の竜騎士団長でドラクル(竜)とうたわれた 勇将だったが、長男とともにオスマントルコに謀殺される。 跡を継いだヴラド3世は、敵のトルコ軍将兵を捕虜にすると串刺しで処刑し、 敵味方を震撼させた。 だが数々の非情な行いのため、弟ラドシュを擁立した貴族たちの謀反にあい 失脚、ハンガリー王の支援を得て王位奪還を目指すが志半ばで戦死した。 一方、吸血鬼の伝説自体は古くからヨーロッパ各地に伝えられていた。 西欧では12世紀に消滅したものの、東欧では20世紀に至るまでその存在が 信じられてきたという。 吸血鬼が最も現実味を帯びて語られたのは18世紀の初頭。フランスの哲学者 ヴォルテール(1694〜1778)は、「1730年から1735年の間、吸血鬼は人 々の最大の話題であった」としている。 <その正体は・・・・・> 近年、スペインの神経医学者Juan Gomez-Alonsoは、吸血鬼は単なる伝説 ではなく現実の反映であろうこと、吸血鬼のモデルとなった気の毒な人々の 異常行動の原因は狂犬病であるという仮説を提唱した。 民間伝承による吸血鬼の特徴は、 (1)犬や狼とともに現れる (2)村々の犬を殺す (3)農村に住む貧しい男性である (4)夜間に行動する (5)他人(特に若い女性)や家畜の生き血を吸う (6)墓場に住む (7)吸血鬼に襲われると吸血鬼になる (8)犠牲者が現世にさまよう (9)犬や猫、こうもりに荒らされた死体が吸血鬼になる (10)ニンニクや鏡、水(聖水)、煙、十字架を恐れる (11)死後、遺体の保存状態が良い (12)寿命は約40日間である 彼はこれを医学的に解釈し、ほとんどすべてが狂犬病で説明できるとして いる。 狂犬病はRNAウイルスの1つである狂犬病ウイルスによる人獣共通感染症だ。 犬、狼が最も主要な宿主だが、ネコ、キツネ、コウモリ、リスなどあらゆる 哺乳類に感染する。 感染動物は狂暴となり、咬傷から侵入したウイルスは末梢神経から上行し、 中枢神経に到達して狂犬病を発症。 最初は感冒のような症状から始まり、末梢の傷から、1日数ミリずつ ウイルスによる神経の変性が進行してゆく。 したがって傷が手足なら数週間から数カ月、顔などならば数日で中枢神経系に 達し、ここで情動を司る大脳辺縁系に感染すると行動異常を起こす。 すなわち、著しい攻撃性や、性欲亢進、夜間の徘徊、知覚過敏(故に匂いの 強いニンニクや光、大きな音を避ける)、飲水による喉頭の痙攣(故に水を 怖がる)・・・・・まさしくドラキュラ、ということになる。 <日本にも襲来> 1721〜1728年、ハンガリーでは犬や狼に狂犬病が大流行し、人間にも 広まったという。 「吸血鬼は人々の最大の話題」であった1730年代の背景として、こうした 事実も無視できない。 日本でも1732年(享保17年)、狂犬病が長崎から全国に広がったとの記録が ある。 オランダ人によってもたらされたこの時の流行は、日本狼の絶滅の端緒と なったようだ。 吸血鬼伝説の説明としては他にポルフィリン症説や統合失調症説があるが、 いずれも行動異常を伴うとはいえ、人畜共通感染という大きな特徴を説明 できるのは狂犬病だけだろう。 幸いなことに日本では1958年以降、国内感染例はない。 しかしながら近くのアジア諸国にはまだ多い病気なので、予防接種や万一 咬まれた時の対応などはあらかじめ準備しておいたほうがよい。 歴史上の人物ならぬ伝説からの教訓である。 (早川智 日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授) この連載コラムでは、豊富な文献と現代の知見を交えて歴史上のあの人を診断 します。 筆者の専攻は産婦人科感染症、生殖免疫学、感染免疫学。医史学にも造詣が 深く著書に『源頼朝の歯周病』『ミューズの病跡学I、II』があります。 http://www.asahi.com/health/rekishi/TKY201107190417.html  
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