運動器 変形性股関節症(3) 質問の紙握りしめ、病院へ

[運動器 変形性股関節症(3) 質問の紙握りしめ、病院へ] (朝日新聞  2010年8月19日) 変形性股関節症と診断された横浜市青葉区の金岡早苗さん(55)は1997年、 自分の骨の一部を切って関節機能の回復を目指す「骨切り術」の手術を 受けた。 退院後は自宅で1日3回、1時間ずつリハビリ体操を続け、週に1度、 運動療法施設での水泳や体操療法を欠かさなかった。 しかし、鈍い痛みと体が傾く感覚がとれず、外出時のつえが手放せなかった。 「どうしたの」 「まだつえが要るの」 周囲の言葉が苦痛だった。 街のショーウインドーに映る自分がみじめに見え、道行く人が、40歳代で つえをつく姿を珍しがっているように思えた。 夫の博人さんに誘われて外出しても楽しめず、受験生の娘、典子さんを かまう余裕もなかった。 リハビリを続けて2年がたっていたが、回復の実感はなかった。 「若いんだから、セカンドオピニオンを求めてみたら」 背中をおしてくれたのは、変形性股関節症の患者が支え合い、情報を交換 しようと設立された患者組織「NPO法人のぞみ会」の神奈川支部の先輩 だった。 のぞみ会の存在は本を通して知った。 紹介された昭和大藤が丘リハビリテーション病院を1999年に受診した。 「このままリハビリするだけの人生は耐えられない。このまま続ければ 治るのか、人工股関節手術をすれば痛みは取れるのか」 治療法への質問や希望する治療後の生活をびっしりと書き込んだリポート 用紙を握りしめていた。 同病院で全身のレントゲンを撮り、股関節を動かせる範囲や痛みの出方を 詳しく調べ、歩き方をみてもらった。 病院に週に1度診療に来ていた海老名総合病院の近藤宰司医師(現人工関節・ リウマチセンター長)が、金岡さんに説明した。 「股関節は体重を支える要。このままだと左足や腰にも影響が出るおそれが あります」 人工股関節への置換術を勧められた。 骨切り術自体はうまくいったようだが、その後の回復が遅く、これ以上 リハビリを続けても改善は難しいとの診断だった。 不安は尽きなかった。 人工関節は一生は持たず、60歳代以降の手術が一般的と聞いていた。 つえ無しで歩けるようになるのか、手術の危険性はどのぐらいか。 持参した用紙を渡して質問した。 どんな治療を受けるにしても、納得して選びたかった。 http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201008190212.htmlNo tags for this post.
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