運動器 変形性股関節症(2) 術後も痛み、つえ手放せず

[運動器 変形性股関節症(2) 術後も痛み、つえ手放せず] (朝日新聞  2010年8月18日) 横浜市青葉区の金岡早苗さん(55)は1993年、変形性股関節症と診断され、 関節への負担を避けるよう指示された。 だが、勤めていた中学校の生徒を前に手を抜くわけにいかず、「重い物を 持たない」といった注意は長続きしなかった。 「大丈夫だろう」 楽観的な思いとは逆に、骨の変形は進んだ。 2年ほどすると靴ひもが結べなくなり、長く歩けば股関節が痛んだ。 目にした病気の解説書には「自然には治らない進行性の病気」とあった。 このままだと、歩けなくなるかも。 不安になった。 そんなころ、阪神大震災が起きた。 建設会社員で神戸市に単身赴任中の夫博人さん(61)は、被災とあいつぐ 復旧工事で、会社に寝泊まりの生活だった。 長女の典子さん(29)の大学受験も控えている。 「家族のためにも、しっかり療養しよう」 退職を決めた。 1996年春、つえなしでは歩けなくなった。 体重がかかると股関節に激痛がして、安静にしていても鈍く痛み、夜ぐっすり 眠れない。 もう、手術しかないのか。 でも、怖い。 長女の受験が終わるまで待とうか。 結局、「私のために治療の機会を逃さないで」という典子さんの言葉が 後押しとなり、都内の大学病院で手術を受けることにした。 主な手術には、骨頭と呼ばれる大腿骨の丸い先端の角度を変えたり、自分の 骨を移植して骨盤側の覆いを広げたりして変形を補い、関節の回復を促す 「骨切り術」と、人工の股関節に置き換える方法があった。 当時、人工関節の耐用期間は約20年とされ、対象は60歳以上が一般的 だった。 金岡さん自身、人工の関節を入れることに抵抗があった。 骨切り術を受けることにした。 手術は翌年5月。 大腿骨の一部を切って骨頭の角度を変え、金属で固定した。 1カ月間の絶対安静に続き、院内で股関節の筋肉をほぐしたり、ベッドで足を 動かしたりするリハビリが始まった。 医師からは、手術は成功したと聞いた。 「これでもとの生活に戻れる」 そう期待しながら、手術から3カ月半後に退院した。 確かに、激痛はなくなった。 だが、普通に歩くだけで、関節に鈍い痛みを感じた。 半年たっても、外出につえが手放せなかった。 退院後もリハビリを続ければ、痛みは治まる、と説明されていた。 「こんなはずでは」 先が見えない思いだった。 http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201008180186.html  No tags for this post.
カテゴリー: せ整形外科,  股関節 パーマリンク