パニック障害 長嶋一茂さんの場合

最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学

『症例 パニック障害 長嶋一茂さんの場合』

長嶋一茂さん(男性)/30歳頃(発症当時)
              スポーツキャスター(マルチタレント)


1987年11月、ドラフト1位でヤクルトに入団した長嶋一茂さん。
天才、長嶋茂雄の息子ということで、彼は入団当初から注目の的。
他のルーキーたちと同じ活躍をしても周りは認めてくれず、あの長嶋の
息子なんだからもっとやれるはずというプレッシャーの中、理想と現実の
ギャップに苦しみながら自分を追い込んでいきました。


最初の異変が起きたのは、プロ2年目を迎えた1989年のこと。
疲れきった身体で眠りについた一茂さんは、毎晩のように空から真っ逆さまに
落ちる悪夢を見るようになったのです。

その後も、ストレスや不摂生から、さらなる症状が彼に襲いかかります。


<症状>
(1)落ちる悪夢を見る
(2)地震のような感覚
(3)息苦しさ
(4)激しい動悸
(5)激しいめまい
(6)多量の発汗


<病名>パニック障害


<なぜ、ストレスからパニック障害に?>
「パニック障害」とはストレスなど様々な原因で脳内の神経伝達物質に異常が
起こり、突然不安にかられ、様々なパニック発作を起こしてしまう病。
25歳から35歳までの間で発症することが多く、現在、日本には約100万人の
患者がいると言われています。

では一体、なぜ長嶋一茂さんは、この病の手中に落ちてしまったのでしょう か。
実は一茂さんが毎晩のように見た「落ちていく夢」こそ、病からの最初の警告。
さらに練習を終え、お酒を飲んでいた時、地震で体が揺れているような感覚を
覚えます。
そして1ヶ月後、トイレに立った一茂さんを突然襲ってきたのは、妙な息苦しさ
でした。
異変に驚いた友人に連れられ、救急車で病院へ運ばれ緊急処置を受けた一茂 さん。

実はこの時、パニック障害が原因で、一茂さんの脳の中枢神経は誤作動を
起こしていました。
そのため脳は酸素が足りないと勘違いしもっと酸素を取り込むようと誤った
指令を出してしまったのです。
そして鼻と口に袋を当てて呼吸することで、乱れていた体内の酸素と二酸化炭素の
バランスが回復。
一茂さんの異変は治まったと考えられました。

しかし、この後、医師から告げられた「自律神経失調症」という病名が、彼の
運命を変えることになります。
「自律神経失調症」とは、体内を正常に保とうとする自律神経のバランスが
崩れることで、めまいや動悸など様々な症状が現れる状態のこと。
これ自体はパニック障害の要因の1つでしかありません。

しかし、当時はまだパニック障害という病がよく知られていなかったため、
自律神経失調症と診断されてしまうことが多々ありました。
そのため、パニック障害全てをカバーする適切な処置が行なわれなかったのです。

そして、一茂さんも病の正体に気づかぬまま様々な症状に悩まされることに
なります。
突然襲う激しいめまい。
朝、練習に行こうと車に乗っても、なぜかハンドルを握る手がビショビショに
なるほどの大量の汗をかく。
さらに再び息苦しさが一茂さんを襲います。

病院に足しげく通っても病の正体は見つからないまま、精神的に追いつめ
られていった一茂さんは、ついにあらぬことさえ考え始めてしまいます。
実はこれこそパニック障害の最も恐ろしい所。
パニック障害自体は、命にかかわる病ではありません。
しかし、度々襲う発作の不安から、うつ状態になったり、最悪の場合、
自ら死を選ぶケースも少なくないのです。

そんな中、父長嶋茂雄さんから戦力外通告を受け、ユニフォームを脱いだ
一茂さん。
しかし、この引退が、彼の病を思わぬ方向に導きます。
引退を機に、すべての重圧から解き放たれた一茂さんは、その後、病の本当の
正体を知り、しっかり向き合えるようになりました。
すると、持ち前の明るさを取り戻し、病もゆっくりと快方へと向かい始めたの
です。

一茂さんは「パニック障害で1番大切なのは、自分を責めずストレスを上手く
ぬいてあげることだ」と言います。
パニック障害という病と気長につきあっていく決心をした一茂さんは今、
スポーツキャスターとして役者として様々な可能性を秘め、第2の人生を
ゆっくりと歩み始めているのです。



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